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最終更新日:2014/09/10

重慶の歴史

重慶は、長江と嘉陵江という2つの大河が交わる場所であったことから、旧石器時代より人類が居住していた大変に歴史ある街です。

渝中区高層ビル群
【重慶市中心部である渝中区高層ビル群を長江を挟んだ南岸区より撮影】

歴史書によれば、商の時代には既に交通の要衝として栄えており、最初に現在の重慶周辺を統一した国は「巴」だと言われています。

尚、当時、成都周辺を中心として「蜀」という国も栄えていたことから、この中西部の2つの国を合わせて「巴蜀」と言うこともあります。

「巴」の文字の由来には複数の説が存在していますが、一般的には蛇を象った文字とするのが主流のようです。

蛇を表す「巴」がこの地の国名になった理由ですが、主に、
 (1)長江と嘉陵江のぶつかる様子が巴の字に見える為
 (2)この周辺の長江は蛇のように激しく蛇行している為
という2説が有力です。

博物館などで「巴国」の遺物を見ますと、中原を支配していた民族とは別系統であるようにも感じられます。

「巴」はその後、始皇帝で有名な秦に滅ぼされてしまいますが、その後、重慶一帯は一部の時期を除いて「渝州」と呼ばれ、現在でも重慶の略称として「渝」が使われており、自動車のナンバープレートにも「渝」と書かれています。

この「渝」という地名は、かつて嘉陵江を「渝水」と呼んでいたことから使われるようになったようです。

現在の「重慶」という地名が使われるようになったのは、今から約1000年近く前の南宋の時代です。

南宋孝宗淳熙16年(西暦1189年)の旧暦正月、皇帝の弟、趙淳が当時の重慶周辺である「恭州」の王に任命されました。ところが 同じ年に皇帝が崩御したことから趙淳はすぐにその後、南宋皇帝に即位することとなりました。

1年のうちに王に任じられ、更に皇帝に即位するという2度の慶事があったことから、南宋皇帝となった趙淳が「慶びが重なった」という意味で「重慶」に改名したのが地名の始まりです。

この故事は中国語では「双重喜慶」と言いますので、地元の方には「双慶」と言えば通じるのではないかと思います。

尚、現在の重慶市では、この故事に因んだ「人々重慶」を、シンボル・ロゴ としており、「二重の慶び」をテーマとして、2名の「人」を「慶」の字(簡体文字ではマダレの中に大【庆】)で表しています。

解放碑夜景
【重慶で最も景色が美しいと言われている南岸区の展望台から撮影】

その後、重慶は常に交通の要衝として発展し続け、1937年には臨時首都として、初めて中国全土の中心地となります。

そして1997年 3月14日、全国人民代表大会にて直轄市とする議案が可決され、同年6月18日、北京・天津・上海に次ぐ4番目、中国中西部唯一の直轄市となっています。

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